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隼田院ハザマ日記 6:00~7:00

  • seamaaaaan
  • 2021年9月4日
  • 読了時間: 4分



 御曹院シオンをやっている私の友人を水子と喩えるのなら、私のことは蛭子と喩えようか。


 別段、神から生まれた神太郎なんて話ではない。


 学友からはホルスだなんて呼ばれている私だが、蛭子が日る子だなんて話も言葉遊びにすぎず

 ミノタウロスの席に蛭子が座ってみたこととて、ワールドスワップさんを多少お茶目に感じる程度。



 ただの容姿の話だ。





* * *


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 私は父親を見たことがない。


 一体全体何とまぐわえばこんな容姿の子供が産まれるのか、私にもてんでわからない。

 私を育てた母親は普通の人間だったが、彼女は昔話を嫌っていた。


 何故私を育てたのかと質問したことがある。

 理由を話されるよりも前に、彼女が謝ったことを朧げながらおぼえている。


 どうして物心つくまで、こんな姿のものを育ててしまったのか。

 産まれたものが生きる尊さなんて話に、首まで浸かっていたひとだったからだと私は感じた。

 怒りは感じなかった。不快だった。




 私の母親は私に対して忍びなさのようなものを感じていて、私とは友人になろうとしなかった。

 努めて彼女なりに母親であることを選択し、なにより私に怯えていた。


 そして私はそれで構わなかった。

 私は彼女に私を生み育てた責任をとらせた。


 単純な話だ。

 私にとっては、食べ物を外に調達しにいくのすらリスキーだったから。

 世話をさせた自覚がある。


 母から排斥されてしまわないよう毎日小さな工夫をすることになった。

 私は母に視野の広さを身に着けさせないよう言葉を選んだ。

 彼女の責任感や罪悪感、後悔を種に、私は大きくなるまで育てて貰えた。


 私は隔離されてはいたが、人間のなかで生活し、それ以外を知らない。

 どんな容姿だろうと間違いなく人間だ。


 死にたくなるだろうと思われるかもしれない。

 まあそうだ。

 ありがちだが、私は死が恐ろしいよりも先に、痛み苦しみがひどく恐ろしかった。

 じつに平凡な理由で、試しては死を先送りにしてきた。




* * *



 イバラシティで初めて学校に通う体験をした。

 こちらの私の過去はといえば、PCで遊び学ぶとことが最も身近で、唯一他人と関わる手段だった。


 幼い時分の私にも、すぐに孤独というものが危険そうにみえるようになった。


 だから私は遠く離れた場所で暮らす彼らをよく観察し、見習うことにした。

 傾向を咀嚼してみるにつれ、私は友人と言う間柄に利便を見出した。

 私とあなたという二人の中で、友人という建前を整備し、関係性をよりよくしていこうと出来るか。

 手入れをし、育て、尊重することを志せるか。

 誰しも互い友達のように接すること。それを一種ルールとして考えることにした。

 これならば、騙すことも搾取も無関心も配慮のなさも不誠実も、ルール違反とすることが出来る。


 友人ができた。

 ぎこちなかった相手からまずは対話を引き出し、多くの言葉を交わした。

 互い共にいられる着地点を、互い共にすすめる改善点を求め

 そしてなにより、よりよい居所になろうと試みた。


 私の世話をする人が故障寸前なことには気づいていたから

 自分の力で生きる準備を始めなくちゃと考えていた。

 私一人が誰とも会わずに生きるだけでも、私の生まれた世界の作りでは不自由したから

 手伝ってくれるような人が、やはり欲しくなった。




* * *



 イバラシティの隼田院フリージアのアバターを作ったことにも通じることだが

 次第私はVRチャットに親しむようになった。

 頭が大きかったし、私の目の位置では大抵の機材があわなかった。

 私は没入感や距離感を諦めることにし、没入感を得ているフリをした。

 私は私の姿を自ら拵えた。

 現実の私の姿とは違う姿になった。

 私が皆をどのように眺めていたとして、皆は私と身近な距離で触れ合ってくれた。


 母名義の口座や書類を利用する形で、誰とも顔をあわせずに済む仕事を得るようになった。

 仕事で関わる人のみならず、ネットを通じて出来た友人からは、親しくなればなるほどに、

 時に「実際会ってみないか」と誘われるパターンが増えた。


 私は友人らには正直に「容姿のせいで、嫌われてしまったらどうしよう」と話した。


 すると友人たちは寄り添おうとしてくれた。

 「そんなもの、なんてことはない。私達とて同じだ。」と手をとろうとしてくれた。

 私は孤独な彼らの理解者で居たいと思ってきたから、

 それが返ってきたようなところがあったのだろうし、

 はたまた、コンプレックスになるほどに醜い誰かの存在に安心したのかもしれない。



 彼らは「そんなことで嫌いにはならない」と。そう励ましてくれた。






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