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隼田院ハザマ日記 35:00~36:00


 この時間に私の処遇が決まる。

 イバラシティに行くことがなければ、また私は一つ名前を捨てるのだろう。

 隼田院フリージアは、イバラシティに行ける私があってこその名だ。




 * * *




 『なにかっぽい』『それっぽい』


 これが私の指針。

 私を形成するための手掛かり。

 私は『そんなキャラクター』になった。


 私は老若男女の私をロールプレイし、それをしながら誰かと関わった。

 誰かと関わる時、ちょっとした演技が入ったり、選択する性格があったりするように。

 誰かにやさしくしようとする時、その人にあわせた方法をさぐる時のように。

 誰かと何かを考えあう時のように。


 自己なんてどうせ、他者からは決してわからない以上、どんなだっていいものだった。

 もしもそこに優劣があるのなら、

 私が私にとってくだらない作品となるだけ。



 私は模倣。何か、かつてどこかにあったものの

 すでに誰かに行われてきたことの、再現や寄せ集め。

 これぞオリジナリティと自分で信じこむ妄信だけあれば、

 良いってワケでもないんだろうし。

 がんばっていればいいのなら、そのがんばりとは

 一体どれほど公平に判断されてきたものだ?

 誰かが作ったものだから?手をかけたものだから?何なら良くて何なら悪い?



 私とは、よくあるハナシを参照しようとした記号のあつまり。



 普通を模倣する何かと同じ。

 美を模倣するなにかと同じ。

 醜を模倣するなにかと同じ。


 振り返って価値があるのは私でなく、その記号こそにあるのだろう。

 もしも再現されたものに価値があるのだというのなら、

 私はその価値を十分に認められた覚えがない。

 私のとった行動など、誰がしてもよいことで、私もまた誰でも良い存在だ。


 私という個は、誰かにとって、あなたにとって、この世にとって、

 あってもなくてもいいようなもの。

 認めてなど貰えないかもしれん未来に、無駄な手間をかけ続けるもの。

 この世の優劣が消えないなら、私とはいつまでも、どうしようもなく陳腐な駄作。

 たとえばそれを拒もうと挑んだところで

 その世界は『比べて劣ると判断する人間の存在』を

 否定することなど決してできない世界なのだから。




 そこでは私自身を愛す事さえ無用。

 模倣をするだけ、博打を打つだけ。ただの作業で、なんならやる意味さえないんだろう。






 ああ。けれど。


 『私がそのようにしたから良かった』と言ってくれた

 つむぎの一言ばかりはきっと残そう。

 嘘を禁じた間柄の、そういう約束であるからだ。

 まだそうと納得はできないけれど。

 もしかすると、一生わからないのかもしれないけれど。

 時間と手間と経緯だけ。それを思った私を肯定するものであるのかもしれない。










 36時間が経過した。 明日が近づいている。









 私という陳腐な作品は、明日を迎える。


 うぬぼれるなよと、私は私に思う。

















* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *







【エンドロールの代わりに】 私のこれまで作ったすべてのしょうもない品を置いても許されていたその場所へ。 ここまで遊び関わった、すべてのリスゲに「楽しかった」と感謝を捧ぐ。 また、日記で何か困っている時、知りたい時 個人的に相談に乗ってくれた方々へも、ありがとうございました! 2021 空飛ぶシーサマンはシーマシマ


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