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『何かっぽい』を纏った。媚びた。目的に近かったので愛想をふりまいた。
そうしてどうやら私は、詐欺師と呼ばれた。
気持ちはだれかへの攻撃って形をとっても優先されるものなのかとか。
だれかへの不快感の折り合いの付け方は、距離を離すことにあるとしても、残った分の傷の収支があわないとか。
皆の嫌われ者になった時、そいつに、たった一人友人がいれば他のやつは嫌いっぱなしでめちゃくちゃ不遇でも耐えられるぜとか。
誰かたった一人の支えがあれば、どんな場所でも一生幸せとか。
なにか大事で楽しい何かがあれば、大きな苦境も屁でもなくなるとか。
仕組も理論も関係ない。心があればこそ、想いがあればこそ、本当は皆それを用いて思いやれるとか。
今までの環境なんて手放しちゃおう、どこか、知らないけど、きっと素敵な場所があるよとか。
「なわけねぇ~~~だろ。」
「つまるところ追い出すって話なんだよなあ。」
「不快への耐久力を勝手に設定されちゃったみたいだけど、
事実はどうでもいいんだなあ。」
「大きな苦境に耐えらなくて折れたら、そいつの大事さや好きさや楽しさまでも
『まるで好きや大事じゃないみたい』つって折れる話じゃん。」
私が無思考のままに、思いつきを直感で口にするなら、これになるだろう。
別段、例であってこういうのをそのまま口にした覚えはない。まあ、覚えちゃいないだけかもしれないが。
険もあるだろうし、びっくりされるかもしれないし、別の言い方や他のアプローチでも構わないと思う。
媚びず縛られず、ありのままの自己を振舞うことこそカッコよくて、素敵な人生だと思えるほど、私は、そういうものに平穏や安心感を頂けなかった。
むしろ迷惑してきたともいえる。
* * *
私は皆の貴重な時間を頂戴してきた。
何人もの「あなた」達との時間と経緯を作ってきた。
それでも、想いを一旦横に置いて目的に合致した行動や、言葉や、様子を身にまとったら、
それらがすべて、偽りや、ウソや、まやかしや、詐欺になるとしたら。
まるで、すべて、何の意味もなかったみたい。
では、その理屈のなかでの私とは、ただただまやかしを纏っているだけの無意味な妄言だけの人。
実際そうかもしれないね。
無意味。
その結論も、またいい。というかそれこそ『仕方ない』だろう。
何度もそう思ってきたから今更感さえある。なんならちょっとウケている。
快や不快はあるとは言ってあるのだが、「なんだかそうじゃないんだよ、それじゃ詐欺だよ」……なんて。
誰になにを言ってもいい、無思考による無法地帯を推奨されているのと何が違うんだっけ?
はたまた、諦めちゃえばいい。窮屈の中で死にたいくらい苦しみながら生きなさい。
人、よく自殺するもんな。その通りなんだろう。
私はくだらなさのために生きていて、くだらなさのためにいつだって死ねる。