隼田院ハザマ日記 30:00~31:00
- seamaaaaan
- 2021年12月5日
- 読了時間: 1分
私はいずれ死ぬ。
私は一人しかいない。
それでも私は死ぬまで、痛覚もあれば、精神も持っている。
他人のことは皆そこまで大事でもない。
たとえば数時間前のヒバリのように(今の想いは不明だが)、先入観を優先する。
自分が所属している価値観のほうをより助ける。
そうなった時、たった一人、ぽつんと居たところで、だから何であろうか?
私が好きな時に好きなように虐げられるだけならば、
では、私は私の数を増やさねばならない。
他の者が、私のようでなければならない。
そして私は、ねずみ講的な考えにたどりついた。
そのねずみ講的な考えとはすなわち、私にとっての『友達』である。
私の友達の、そのまた友達は私の友達ではないが、
私自身の友達は、その子自身の友達と私の事をどのように取り扱うだろうか?
常盤郁子の言ってくれた内容は、おおよそ私のこういった望みであり、
私がイバラシティで、『へんしんちゃん』を決して手放さない理由でもある。
ここまでの思いがつらなり、私はこの辺りに着地した。
他の皆がそれぞれの想いを持つように。


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