隼田院ハザマ日記 19:00~20:00
- seamaaaaan
- 2021年12月5日
- 読了時間: 2分

銭田の絵画を見た。
黒浦さんの写真を見た。
真柄のガラス工芸を見た。
サクタローらの音楽をきいた。
いくちゃんと名画の話をした。
上手いといわれる絵の前にたったとき、孤立に対する億劫をいつも思う。
かわいいと呼ばれる商品の羅列と、それらしい要素を覚える面倒も。
あの子の好きな歌の話をするべく仕組みを把握しようとするとき、
処理落ちのように涙がでるときがあるのなら、
その仕様やタイミングを自分なりに決めてそこで泣くという設定を自分につける。
この世の盛り上がりの術を組み合わせたものの良し悪しなどわからないので
あうあわないの嘘を渋々おぼえて、仕組みをなぞって
大外れをバレないようにやり過ごす。
その場その場でちょうどいいストーリーを考え纏い覚え、
それだけでもいいけれど、それだけでもいけないと気づいた時は、何かやり方を考える。
当たり前ながら私の知恵も思考も知識も常に足りない状態だけれど
それでいながら私という肉体は、あまりに呑気で何の進捗もない。
売れる作品というものを思う。
お金がないと暮らすのに不便する仕組みだもの、それは勿論そうなるのだろう。
かわいいという語はかわいいという状態をあらわしていて
好きという状態の宣言が意思でしかないのなら、好きは作れる。
私の一生でほしい分の建前や嘘は、覚えるには数が多いが
今、私が私を作らずにいたところで、私は欲しい結果を得られない。
己の自制心のなさなんてつまらぬものを粋がらないよう。
自分がわからないからって極力ばかになんてしないよう。
もしかしてを残せるよう。
自分だけ安全圏においたフリをしないよう。
短絡的にならないよう、槍玉にあげられないよう
沈黙を保つ安全圏から一歩出られるよう。
非才な私にできるのは、まずは我慢と、
その場しのぎに必要な努力をする事くらいだった。
だからこそ私は、出会う人と『お互い友達だと思いあえないか』を考えることにした。
私は時に積極的に『友達になろう』と声をかけた。


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