隼田院ハザマ日記 1:00~2:00
- seamaaaaan
- 2021年9月4日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年12月6日
隼田院フリージアは、更にイバラシティで二十日間ほど生活したようだ。
本当なら居ない人間だというのに、よく出来ている。
周囲からすっかりそこにいるものとして扱われているのだから。
箕田家に作られた私の部屋も、内装も、一体どこから出現したものなのだろうね。
私の新しい家族である箕田家の面々は私と私の所有物を一切の疑いなく受け入れている。
私が病に倒れれば気前よく入院費を支払い、月ごとに小遣いを寄越す。
世に聞く家族揃って食事をとるという事は殆どないが、私にも等しく食事を与えてくれる。
自ら育てたと錯覚し、または一緒に育ったものと誤認識し、私に安心しきっている。
まあ、イバラシティに配置された時に、何故私があの家に置かれたのかは多少納得するところもある。
恐らく私達は試合時間いっぱい穏やかな家族を楽しめるだろう。
私はそこに巣食うことになんら困難を感じない。

* * *
クリスマスの少し前から正月明けにかけてのイバラシティの私を私自身で観察し、確信した。
隼田院フリージアは間違いなく私だ。
隼田院フリージアは、私と同じ考えに基づき生きている。
私のような姿として生まれたことがないにも関わらず。
エディアン曰く私達の記憶や姿は『イバラシティに適応したもの』に置換されているはずだ。
思想が出来上がるまでには、少なからず記憶が関わるというのに。
では、私の思想は『イバラシティに適応できるので置換されていない』といえるのではないか。
私という人間が、人と共に在ることに適応できると。
或いはそうしてきたと判断されている。
私は私のまま、人の輪に加わることを認められた。
この姿以外は。
この私が人の輪のなかで生活することにおいての問題点など、やはり見た目だけでしかなかったのではないか。
複数の友人がいて、不仲でない家族がいる。
餓死をしかけても無視されてきた私が、駅でうずくまっていれば誰かに助けて貰える。
体調を崩して医者にかかり、登校出来なければ見舞いに来てくれる友人がいる。
少なくともワールドスワップという仕組みは私の人間性を認めた。
人であることを否定されるいわれなどなかった。
身震いするほどだった。
私は狂喜した。

* * *
友人関係において、最たる変化といえば深山陽葉里のような人物と友人同士となれたことだろう。
自分の容姿にある程度の自信があり、話の流れで誰かの容姿を比較対象として話すことも出来る。
そういう立場の女の子で、外を遊び回ることに興味を持っている。
記憶の改編で本来居ない私が獲得した範囲の情報によれば、中々賢い女の子だ。
このタイプの人物とは、以前の私の生活では友人関係を持つのは困難だった。
11月後半、彼女の家に宿泊した時のことは記憶にも新しい。
私はこれまで人の家に泊まるということをしたことがなかったので余計に。
たとえば音楽教師である等々力氏のような者とは、プライベートな連絡をとりあうのも御免とのことだった。
ならば私は?



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